制度じゃなく、人間の話をしよう

令和の人事係長 の本音ブログ

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「子育てを言い訳にしている」と感じた日のこと。

育休中、ふと「自分は子育てを都合よく使っているのではないか」と思った瞬間があった。その葛藤を、そのまま書く。


育休を取ってしばらくたったころ、ふと思った。

「自分は子育てを言い訳にしているのではないか」

仕事から離れることへの後ろめたさを、「子どものため」という言葉で覆い隠していないか。本当は仕事が怖くなっていただけなのに、育休という制度に逃げ込んだのではないか。

その考えが浮かんだ瞬間、少し自分が嫌になった。


なぜそう思ったのか

育休中の生活は、想像と違っていた。

子育ては確かに大変だ。でも、仕事のように「成果を出さなければ」という重圧はない。締め切りがない。評価されない。その「ゆるさ」の中にいると、自分がどれだけ仕事の重圧を「生きがい」にしていたかに気づく。

そして気づいてしまうと、怖くなる。

「自分は仕事がないと、何者でもないのではないか」

その恐怖から目を背けるために、育休という正当な理由を使っているのではないか——そう感じた瞬間があった。


「言い訳」と「理由」の違い

しばらく考えて、自分なりの結論が出た。

言い訳とは、本当の動機を隠すための言葉だ。理由とは、自分が選んだことを説明する言葉だ。

私は確かに、仕事から離れることへの恐怖があった。でも同時に、子どもの成長を近くで見たいという気持ちも、本物だった。

二つの気持ちが混在していることは、おかしくない。「純粋に子どものため」でなければ育休を取る資格がないわけではない。

言い訳と理由は、共存する。それでいいと思った。


育休中に気づいたこと

仕事のアイデンティティから少し離れてみて、わかったことがある。

私は仕事が好きだ。でも、仕事だけが自分ではない。

それは頭では知っていたことだが、育休を取るまで、体で理解していなかった。仕事から離れる時間がなければ、気づけなかったことだと思う。

「子育てを言い訳にしている」と感じた日は、自分の本音に近づいた日でもあった。


育休を取ることを迷っている人に、一つだけ伝えたい。

動機が「純粋」でなくていい。複数の気持ちが混ざっていていい。それが人間だと思うから。